社会的企業か連帯経済か?

東アジアの連帯経済関係者を世界の他の地域の関係者と交流させようと私は努力しており、最近社会的企業に従事している人たちに何名か会ったが、そこで私は、連帯経済よりも社会的企業という表現のほうがこの地域(日本、韓国、台湾、香港、そして最近では中国大陸でも)ではよく知られていることに気がついた。これら2つの運動は類似の目的を追求しているように見えるが、この2つの概念の間に横たわる根本的な違いについて明らかにしたい。

社会的企業の最初の取り組みが英国で生まれ、その後特に他の英語圏諸国などに広がっていったという事実をぜひ思い出していただきたい。その一方で、「連帯経済」という単語は、フランスやイタリア、スペインやカナダ(特にケベック州)、中南米やセネガルなど、ラテン系言語が話される国で幅広く使われている。今やアジアではフランス語やスペイン語、そしてポルトガル語はほとんど使われていないことから、「連帯経済」という用語がこの大陸では知られないままになっていることは想像に難くない。

社会的企業の主要概念は、障害者向けの雇用創出や、通常の融資を受けられない貧しい地域に対するマイクロクレジットなど、社会あるいは環境保護を目的とした事業を起こすというものだが、これは必ずしも既存の資本主義に挑戦するものではない。このため社会的目的がある数多くの私有企業も社会的企業とみなされているが、これは連帯経済ではほぼあり得ないことだろう。HSBCがスポンサーとなっている社会的企業関係の会議について目にしたことがあるが、この多国籍金融機関が連帯経済と手を組んでいる姿は私には想像できない。もしかしたら彼らは、社会正義の達成よりも持続可能な資本主義の構築に関心があるのかもしれない。

その一方で連帯経済は、特に世界経済フォーラムの対抗フォーラムである世界社会フォーラムにおいて、新自由主義的なグローバル化への対案として推進されてきており、この従事者は資本主義はいかなるものであれ収奪的であるとみなす。このため労働者生産協同組合などの協同組合がこの連帯経済の主要な担い手となるが、もちろん社会的企業の中にもこのカテゴリに入るものもある。

これら2つの概念が異なった社会経済的な価値観に基づいていることから、これを生み出した文化背景そのものが違うことは単なる偶然ではないと私は思う。資本主義が英語圏諸国で最も発展したことについては疑う人はいないと思うが、社会的企業では資本主義の構造そのものは手をつけられないままであることから、社会的企業のほうが連帯経済よりもはるかに都合がよいと考える人がある程度いる一方で、ラテン系の情熱を持つ人たちはその資本主義の構造事態を疑問に付す。そしてこの意味ではアジアは非常にアングロサクソン化されており、資本主義の原則を守ろうとするエリート層にとっては社会的企業のほうが連帯経済に基づいた協同組合よりもはるかに御しやすいと感じるのである。

私の偏見かも知れないが、アジアではラテン世界よりも英語圏のほうが好まれる傾向にあることから、連帯経済を推進する上で私はこの大問題に直面している。アジアでパラダイム・シフトを起こすにはどうしたらよいのだろうか。

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